2013年04月19日

不当な権力からの弾圧。

姉とのコミュニケーションは主に指文字と筆談だったので、手話はほとんどできなかった。
20年以上たって手話学習を始めたのは、大学でろう教育関係を研究している先生に出会い、鈴木は手話をやらなイカン!と、使命感に燃えたから。

某手話講習会、今年3年目。
使命感に燃えていたので、主張がすぎたのか、ケンカとなること過去2回。

1回目のケンカは、私が日本手話の構造にこだわりすぎたせい。
2回めのケンカは、声つき手話の強制であった。

日本語対応手話と日本手話がある。
手話は言語だ。そう言ってみるのは簡単だ。
しかし、それがどういうことなのか理解できている手話講師・学習者はどれだけいるんだろう。

鈴木は言語学を勉強したから理解できるのであって、そうでない人に理解をしてもらうのは難しい。
学習者は全員が手話通訳者を目指しているわけでもなく、
全員がろうの友達がいるわけでもなく、ましてやろうの家族がいるわけでもなく、
ただ楽しく手話を勉強してみたいだけ、という人だっているわけで、
その人たちにあれやこれや説明したところで「??」となって、徒労に終わるのが常。

姉の家は、マルチモダリティである。

手話。
口話。
指文字だけ。
音声だけ。
筆談。
絵。
顔だけ。
声つき手話。
各種組み合わせ。

甥と話す時は、音声で話しながら手話もちょっとつける。
姉と話す時は、声なし。
誰も、手話を強制したり、声を強制したりはしない。

ところが、手話学習者というものは、時に声つき手話を「強制」される。
なんでだろ?
私たちは「手話を勉強中」なんだから、まずは手話だけで理解する訓練が必要じゃないの?
声いらないでしょ?

頭の中が手話のときは、声つき手話は、できない。
声つけて!と言われると、手話も、日本語も、混乱して何も出てこなくなる。

「声つき手話を依頼されることに違和感を覚える」などとやんわり表現される人もいるようだけど、
鈴木は「違和感」なんかじゃない。「嫌悪感」だ。

不当な権力からの弾圧。
権力を行使している側が、その権力の不当さに気付いていない。
音声日本語のほうが優越であるという無意識の「差別意識」から生まれる行為。
無知が生み出す「誤解」(手が動いていれば手話だから、ろう者に伝わると思っている)。
相手に悪気がないほど、こちらの傷は深い。

それで思わずカッとなったり、ひどく落ち込んだりしてしまう。
でもケンカしたおかげで、私の主張は、一部のクラスメイトには認知された。
とりあえず、鈴木さんに声を強制するとマズイ、ということはわかってもらえた模様。

「声なんて、いらないよ!」と言ってくれた、ろうの先生。
ありがとう。鈴木は、あきらめない。今に見ておれ!
手話通訳士に、俺は、なる!

でも、不要なケンカはしないように、気をつけます。
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posted by 鈴木 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 手話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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